体育の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば
「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としています。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日を、1966年(昭和41年)から国
民の祝日としましたが、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2
月曜日となっています。明日の8日(月)もこの様な意味があります。尚、国民の祝日となる以前は、10
月の第1土曜日がスポーツ振興法による「スポーツの日」とされていました。
ところで、オリンピックというとつい先日行われた「ロンドンオリンピック」を思い出しますが、1936年
の「ベルリンオリンピック」で、すばらしい「友情のメダル」というお話があります。
その内容は、次の様なものです。
1936年のベルリン大会。棒高跳び決勝は、大江季雄、西田修平という二人の日本勢を含む4人の争い
となりました。アメリカのメドウスが4メートル35を跳び、金メダル確定。大江、西田両選手の記録はともに
4メートル25でしたが、「日本人同士で争うことはない」と2、3位決定戦を辞退しました。ここまで5時間以上
に渡る大接戦で、二人とも疲れ果てていたのです。日本側は、先にクリアした年長の西田を2位、大江を3
位と届け出て、これが公式記録として認められました。
競技翌日の表彰式では、西田は後輩である大江に2位の表彰台に立つよう指示しました。「次の東京大
会で頑張ってほしい」という激励の気持ちからだったといいます。帰国後、二人は銀と銅のメダルを半分に
割り、つなぎ合わせたメダルに作り直しました。
しかし、1940年東京大会は第二次世界大戦のために中止。大江は41年にフィリピンで戦死しました。二
人の思いは戦争によって断たれてしまいましたが、つなぎ合わせたメダルは「友情のメダル」として今も人
々の記憶に刻まれています。(日本オリンピック委員会(JOC)HPより)
共にベルリンの地で、オリンピックというスポーツの頂点で力の限りを出し尽くした選手同士だからこそ
できた、すばらしい行動ですね。改めて、スポーツをすることの奥深さを感じました。
★手前から西田修平、メドウス、大江季雄の各選手 ★つなぎ合わせたメダル